私の親戚は農家でした。しかも、近くでしたので、学校が終わると、毎日のように遊びに行っていました。当時は、小学生が家のお手伝いをするのが当たり前の時代で、大根おろしを作るのは子供の仕事でした。今の大根は白いだけで味がないですが、昔の大根は辛味があって美味しかったものです。
親戚の家には柿の木があります。竹の竿の先を割って、高い所の実を枝ごと折って採るのも子供の仕事でした。小学生には竹の竿は重く、たくさん取ると結構疲れたものです。このお陰で、ある程度腕力が鍛えられたのかも知れません。柿の木には、ヒヨドリが飛んできて啄ばみます。家に居ながらバードウオッチングができる、そんな楽しみもありました。
沢庵も自分の家で作っていました。漬け物樽の重石を上げたり降ろしたりするのも、これも男の子の仕事でした。納豆も家で作っていました。今のカップに入った納豆でなく、藁で包んだ納豆です。
川漁師さんが、保津川で獲れたお魚を売りに来ていました。アユやゴリです。ゴリの中には生きているのが数匹いて、それを水槽に放して遊んだものです。
地域には、農業用のため池があり、そこでは鯉が飼われていました。年に一度水を抜いて、鯉が各農家に配られました。これを飴炊きにするのです。
お米はもちろん、カボチャ、きゅうり、茄子等、全部裏の畑で作っていました。鶏も裏の小屋で飼っていて、その玉子で毎朝玉子かけご飯を食べていました。
今、日本の食料の自給率が低く、食糧危機が叫ばれていますが、当時、私の親戚の家の食料自給率は相当なものでした。 私たちの健康は、住んでいる地域の影響を受けています。食べ物も、その土地でとれたものを摂取するのが、一番健康的で理にかなっています。
食養の世界では、この事を「身土不二」という言葉で表しています。今の言葉でいえば『地産地消』という事です。幸いにして、わが町亀岡は、農作物の生産地と消費地が隣接しています。何もわざわざ外国で採れた野菜を買わなくても、地産地消のシステムがうまく機能すれば、地元で朝採れたお野菜が、夕飯の食卓にのぼる事になります。
昔の言葉に、『土健やかにして食健やか、食健やかにして民健やか』というのがあります。健康面でも、もう一度『地産地消』を考えたいものである。
お店は古い佇まいが残る安町商店街にあります。京都銀行から50mほどです。
駐車場を備えていますので、ゆっくりご相談ができます。